まさかあなたが!?パーキンソン病に勇気を持って立ち向かう

 

マリアッティ・ロビン

オランダ、ハイゼン在住のマリエッテ・ロビンは国際ブロガー&コピーライターとして、自身のパーキンソン病の経験を世界中のコミュニティと共有しています。

友人が、「まさかあなたが?!」と言いましたが、まさにその通り。スーパーの精肉コーナーで友人と立ち話をしていた時、何気なく核心をついてきたのです。病気と喪失、と聞くと「まさかあなたが」と思いますよね。46歳でパーキンソン病と診断されるのもそう。自分の将来がこうなるとは誰も予想しないでしょう。

「誰もが病気にならないとは言わないけど、」彼女は続けて言う、「でもあなたが病気なんてそんなことあり得ないわ。いつも私を笑わせてくれる明るいあなたなのに!」

その通り。私がパーキンソン病なんてあり得ない。育児、キャリア、ブログでも何でも全てできているんだから。だからパーキンソン病なんて疑いもしなかった。でも、悲しみ、喪失、パーキンソン病に襲われた人だけが、自分の人生で多かれ少なかれ諦められなければならないことがあるという現実を突きつけられるのでしょうか。誰もが同じ気持ちを持っているはず。いや、そんなことはない。これが私に起こるなんてあり得ない!こうやって病気を受け入れようとし始めるけれど、その終わりが本当に見えることはない。この容認のプロセスはもがきながら坂道を上がっていくようなものなのです。

でも、ちょっと待って、受け入れるって何?病気の診断を「受け入れる」とは本当はどういう意味なのかしら?老眼鏡をかけて語源辞書を引いてみる。辞書には「喜んで受け入れること」と書かれており、オックスフォード辞典を引くと、「(提供されたものを)受け入れることに同意する」とある。

なるほど!「受け入れることに同意」する。これなら理解できそう。だってパーキンソン病を喜んで受け入れる人なんていないのだから。実際、私のオマ(おばあちゃん)が101歳の時に同じようなことを言っていたわ。夫(おじいちゃん)は第二次世界大戦の時レジスタンスのリーダーとして処刑され、一番下の息子がその数年後に亡くなったうえに、その後ひ孫(私の娘)が生まれる直前に亡くなったのだけど、これだけ悲しいことが続いたにもかかわらず、オマはいつでも、「勇気を持ちなさい。そして長旅に出ることに同意しなさい。行先の分からない旅に。なぜ旅に出なければならないのか、どうしたらよいのか分からないまま出掛けるのですよ。」と言っていた。

よく考えてみれば、これは聖書の概念でもある。私達は決して運命を受け入れることができない。なぜならその運命が何かわからないから。でもその運命までの道のりを受け入れることはできる。涙したり、絶望したり、時には楽観的になり、自身を皮肉って笑い、また落ち込んでは立ち直るという繰り返し、という道のりを受け入れることはできるのだ。

今ならオマの「勇気を持ちなさい。勇気を持たなければだめよ。勇気を持って長い旅に出なければいけないよ。」という意味がわかる。楽しむ、楽しまないは別として、その旅がパーキンソン病、またはその他の病気であることは別として勇気を持って受け入れなければいけないということなのだと思う。

「それをもう受け入れた?」とよく質問される。家族や友人が真摯に心配している故にされる質問だけれど、これは的外れだと思うのです。

正しくは、「もう旅には出たの?」なのだから。